投資と投機の定義は曖昧
投資と投機が比較されることがありますが、実は両者にきちんとした学術的な定義はありません。もちろん、独自に定義して使用していることはありますが、広く合意されている定義はないのが実情です。少なくとも、経済学の専門書や論文では両者を区別することはありません。なお、英語ではinvestment (投資) とspeculation (投機) がニュアンスの近い言葉となりますが、こちらも事情は同様です。
様々な投資と投機の定義
投資と投機を比較する場合、以下のような定義が多く用いられます。
- 長期は投資、短期は投機
- インカムゲイン狙いは投資、キャピタルゲイン狙いは投機
- 対象を深く理解するのは投資、価格の変動だけに着目するのは投機
- 成長期待は投資、差益期待は投機
- 低リスクなものは投資、高リスクなものは投機
- プラスサムゲームは投資、ゼロサムゲームは投機
- 期待値がプラスなものは投資、ゼロもしくはマイナスなものは投機
本来は投資と投機という語には善悪の色はないのですが、多くの著者は投資は良いもので投機は悪いものとして扱っています。「投資」商品を売りたい都合の場合もあるのですが、投機は博打でありそれで儲けるのはけしからんという思いが透けて見えることもよくあります。いずれにせよ、自分の気に入らないものや都合の悪いものを叩くために「投機」の語を使っているという構図は同じです。
いずれの定義も両者を決定的に分ける閾値があるわけではなく、大きなグレーゾーンが横たわっています。このグレーゾーンが広いことが重要で、閾値を好みのところに設定すれば自説を補強する材料が簡単に得られます。好んで投資と投機の対比をしたくなるのも頷けます。
投機も社会の役に立っている
よく用いられている投資と投機の定義を眺めると、投機はあまり社会の役に立っていないどころか市場を乱高下させる害悪のように見えるかもしれません。しかし、それは大きな誤解です。
短期のキャピタルゲイン狙いの「投機」に参戦している人々は、誤った市場価格を正すと同時に市場に流動性をもたらしています。また、「投機」を好む人々が高リスクの投資対象を引き受けてくれるおかげで、「投資」を行う人々もその恩恵を受けています。その報酬として多少の利益を得たとしても、外野が批判するべきことではありません。