日経平均株価が3万円台を回復
先日ついに日経平均株価が3万円台を回復しました。これを契機に、経済の専門家からブロガーまで様々な人が現在の株高がバブルか否かを語っています。その結論もさまざまで、バブルの懸念、バブルだとは思わない、明らかにバブル、バブルとはいえない、などなど百家争鳴の様相を呈してきています。
なぜ現状の認識だけで、ここまで意見が割れてしまうのでしょうか。
バブル経済の定義
実は “バブル経済” という用語は、これだけさまざまなメディアで頻出するにも関わらず定量的な定義がありません。
多くの人はバブル経済に共通する現象として、
- 株価や地価などの資産価格の急激な上昇
- 実体経済と資産価格の乖離
- 経済活動の過熱
- マネーサプライや信用の膨張
などを挙げていますが、これらも定性的な定義に過ぎません。具体的にどれだけ急激に資産価格が上昇し、どれだけ信用膨張が起きればバブルかという定量的な定義があるわけではありません。
経済学の世界ではもう少しシンプルに “理論価格から離れた資産価格の動き” という定義も用いられますが、その理論価格をどのように算出するか、またそこからどの程度離れたらバブル経済とみなすか、万人が納得する定義があるわけではありません。
実は1986年頃から1991年頃の日本のバブル景気ですら、実際にいつからいつまでがバブル経済であったとするかは、論者によって幅があります。仮に将来、現在の株高がバブル経済であったとの認識が一般的になったとしても、いつからいつまでがバブル経済であったかのか後世の経済学者たちの意見が一致することはないでしょう。
論者をフィルタリングする道具としての “バブル経済”
では、現在がバブル経済であるかを論じることは意味がないのでしょうか。
定義を定めないままの議論が無意味であるという意味では、”バブル経済” というバズワードを自説に都合の良いように解釈して現在がバブル経済である (またはバブル経済ではない) と断言する記事に価値はありません。しかしながら、そんな中でもきちんと自分なりにバブル経済を定義し、真摯に現状の理解に努めている論者はいるものです。そんな人々をあぶり出すフィルタとして、現在の “バブル経済” は格好の機会と言えます。