働き方改革と副業
働き方改革が進められる中で、副業が注目を集めています。旗振り役の厚生労働省も副業・兼業の促進に関するガイドラインを公開するなど後押しを進めており、このガイドラインを受けて副業解禁へ舵を切る企業も増加しています。ネット上でも、やれこの副業は割が良い、やれこの副業は儲からないといった議論に余念がありません。
これらの動向を見ていると誰もが副業を当たり前のものとして捉えているようです。しかし、よくよく考えてみるとこの副業という言葉には隠れた前提条件があります。すなわち、何らかの本業があるという前提の上で、副業の議論が成り立っています。
改めて厚生労働省のガイドラインを見てみると、どうも同省の考える働き方はまだまだ型にはまったもののようです。どこかの企業でフルタイムで働くのが本業であり、余った時間を他の企業での労働に充てるのが副業という暗黙の前提があるようです。
本業の定義の難しさ
あらためて本業とは副業とはと考えてみると、実はその定義が難しいことに気付きます。
公的な定義を探すと、もっとも近いものが国勢調査の職業分類です。ここでは、報酬や就業時間、直近の従事などを勘案して一つの職業を決定しています。この職業がその人にとっての本業と言えます。なお、利子、株式配当、家賃などの財産収入は報酬に含まれず、したがってそれらで生活していても職業とはみなされません。
私自身が本業は何かと問われたことを想像すると、はたと悩んでしまいます。正社員として働いているという意味ではサラリーマンが本業ですが、もっとも多くの時間を注いでいることと定義するのならば研究が本業です。はたまた最大の収入源が何かで決めるのならば投資家が本業となりますし、自分が何に情熱を持って取り組んでいるかと問われれば研究に加えて子育ても本業と言えます。
それでも本業を考える意味
会社努めに全精力を傾けているわけではない人にとっては、本業を定義するのは案外難しいものです。本業はと訊かれてすらすらと答えられるのは、自分の本業についてとことん考え抜いたことがある人か、特定の企業に依存している人です。前者はおそらく自分の人生を主体的に生きている尊敬すべき人ですが (残念ながら私はまだこの域には達していません)、後者であっても悲観することはありません。自分の人生を振り返ることで、努め先以外の本業候補を見つけ、大いに悩めるはずです。ひいては、それが自分の生きる意味や人生の優先順位を考える糧となります。