カネヒマについて

金と暇で実現できること

金と暇、なんと甘美な組み合わせでしょうか。

多くの人の望みを集約すると、その大半は金と暇が十分にあれば実現できることに気づきます。美味しいものが食べたい、素敵な服を着たい、欧州のきれいな街でのんびりと過ごしたい。こういった望みはお金と暇があれば今すぐにでも実現できるはずですが、現実に実現できている人は一握りです。十分な金と暇がないために、望みが実現できていないのが多くの人の現実です。今すぐ気まぐれに適当な飛行機に飛び乗って南の島へバカンスに行きたくとも、自由になるお金がなかったり、目の前の仕事に追われていたりとままなりません。たとえある程度の蓄えがあったとしても、将来の生活や養っている家族のことを考えると「今日から旅に出るのでしばらく休みます。ダメなら辞めます」とはとても言い出せない人も多いでしょう。

金と暇だけで十分か

金と暇があっても退屈するだけだし寝たきりではしょうがない、生きがいや健康の方が大事という考えもあります。その優先順位はさておき、一理ある考えです。確かに金と暇を十分に活かすには、才能やある種の努力が必要となります。金と暇があっても、毎日何となくご飯を食べてテレビを眺めて寝るだけの屍のような生活では、生きている意味はありません。この金と暇を持て余さずに有効に活用できる能力こそが、教養や徳と呼ばれるものです。

礼記にも、小人閑居して不善をなす (小人閑居為不善、無所不至) との記述があります。金と暇を得た上で、さらにそれらを活かせるだけの教養を得ていくことが、口はばったい言い方をすれば私の人生の究極の目的です。

金と暇を確保した方法

それが重要であることが理解できていたとしても、実際に十分な金と暇を確保するのは容易なことではありません。仕事を辞めて自由になりたいと思いながらも金銭的な理由で働き続けている人々がたくさんいるのが何よりの証左です。それでも、程々の才能と人並み以上の忍耐力さえあれば、現実的な確率でかつまだまだ体力があると言える年齢のうちに金と暇のある暮らしを実現する方法はあります。

私は、若手と呼ばれることはめっきり減ったものの、今不慮の事故で亡くなったとしたら「まだ若かったのに」とは言ってもらえる、そんな年齢です。サラリーマンとして働いていますが、十分な金と暇があり、将来の不安もありません。それに見合うだけの教養があるかは、日々精進中といったところですが。ここに至るまで、宝くじに当選するような幸運があったわけではなく、大きな遺産を相続したような経験もありません。どこかの怪しいサイトが主張するように、一日5分の作業でザクザクとお金が入ってくるような体験をしたこともありません。今の金と暇は、日々の倹約と適切な投資によって作り上げたものです。おそらく今若返ったとしても、高い確率で同じような状況にたどり着ける、再現可能な方法です。

カネヒマについて

このカネヒマは、十分な金と暇を確保する方法やそれらを活かす道をお伝えするために立ち上げました。今どきのビジネス用語で言うと、ベストプラクティスとアセットマネージメントといったところでしょうか。

読者の生き方に少しでも影響を与えられれば、というのは高望みが過ぎるでしょうが、せめてこんな考え方もあるのかと関心を寄せていただければ何よりの喜びです。